ごあいさつすわりゅう たかじょうとはすわりゅう ほうようじゅつ ほぞんかいこうしゅうかいのごあんないしりょうかん
TOP > 諏訪流鷹匠とは > 諏訪流のルーツ
 諏訪流の鷹書によると、兼光( 名前・出身国・来日時期に諸説多し )という鷹匠に、仁徳天皇は呉竹( こちく )という美女を嫁がせ、鷹匠の技を吸収させたと言います。
 呉竹の娘朱光の婿となった源政頼( 表記・出生時期に諸説あり )は、十六の秘事と三十六の口伝を得たとされ、その為日本最初の流派は呉竹流、あるいは政頼流と言われています。
 この源政頼の技が、信州諏訪大社における贄鷹( にえたか )の神事( 鷹で捕えた獲物を神に供える祭 )に奉仕していた諏訪大祝( おおほおり )一族に伝えられたことにより、諏訪流の名は広く知られるようになりました。
 やがて皇室の家柄と言われる禰津家の三代目神平貞直が諏訪氏の猶子となるなど政権との結びつきが強くなり、貞直は保元・平治の役へ参加して名を残し、息子宗直は後に任官して美濃守になりました。貞直の妻も良く鷹に通じていたと言われています。
 諏訪大祝( おおほおり )一族には鷹を使っていたらしき人物の名前が見られる一方で、神平は諏訪流の祖と称されるように、禰津流と諏訪流、後に生じる大宮流などは非常に近しい贄鷹の流派であり、神平貞直は諏訪流に最も大きな影響を与えた人物の一人と言えるでしょう。

 やがて、かつては鷹の家柄として皇族によって保護されてきた鷹匠は、武家の時代に入って武将や武将の鷹匠として仕える者が出てきます。
 戦国時代になると多くの鷹匠が全国の地方大名や豪族に召抱えられ、鷹匠の需要が増えるにつれて多くの流派が生まれ、諏訪流からも多くの諸氏が輩出されました。
 織田信長に仕えたとされる小林家次は、優れた功績から鷹の字を頂き、小林家鷹と名乗るようになったと言われています。家鷹は豊臣秀吉、徳川家康に仕えたとされ、この家鷹を初代とする小林家に伝えられた諏訪流の系譜を伝承しているのが、現代の諏訪流鷹匠と言えるのです。


研究所について はんばいどころおたかばつうしんいたくぎょうむおといあわせ